ゼロベース思考を読んだ。
あまり深く理解していないが、アウトプットの大切さとうことで書いていこうと思う。
ゼロベース思考という題名が、複雑な思考をいったんやめ、ゼロから考えようということだけれども、
日本語に訳すと「そもそも論」ということに当たるのではないだろうか。
なんでもそうだが、物事をこだわりだすと、だんだんと複雑化していく。
シンプルイズベストというが、すべてのことはシンプルなんだ。
数学の法則式にしたってシンプルだ。
では、なぜ人間は物事を複雑にしたがるのだろうか?
これは、おそらく、思考の積み上げ方式で考えているからそうなるのではないかと考える。
つまり、ひとつの出来事があり、それを対処するために、良かれと思い解決策を足していく。
さらに別の出来事が起こった場合は、さらに解決策を足していく。
するとどんどん出来事、対処しなければならない問題が生じれば生じるほど
どんどん複雑になってしまう。
例えば、顧客に良かれと思って対策をしていくとする。
それが一つであれば良いが、2つも3つも20も30も対策が増えていくとすると
どんどん複雑化していき、顧客もそうだが、サービス担当者も混乱に陥る。
この方策が顧客にとって喜ぶ良い対策なのではないかと考え、あれもこれも対策案をこなしていくと
考え方にとっては、完全な対策案を行使することができ、顧客の満足を得ることができると考えるのだが、
逆に担当者を疲弊させ、サービス低下を招いてしまう。
もう一つ例を上げるならば、多くの友達に約束をするとする。
1つや2つくらいなら良いが、それが10や20となると、その約束を果たせるかどうかわからない。
約束を破ったために、関係がぎくしゃくしてしまうってことも生じるわけだ。
本来、良い関係を築こうとしたのにも関わらずだ。
そもそもあなたは何をしたかったの?
この質問が、あなたの正気を呼び戻す。
また、日本語の「臨機応変」ということも重要なことばなのではないか。
さらに、「ルールの厳格化」なども自分を守っていくために必要なのではないか。
これはできるけど、これはできないといったもの。
削ることによって、よりシンプルになり、深さがでてくるのではないだろうか。
そんなことを考えさせられた。
このゼロベース思考の本では、そもそも人間は何も知らないし、よくわかっていない。
知っているとは、思い込みの一種で、それが正しいのか、そうでないのか誰もわからない。
といったような内容の文書が記載されていた。
だから、いったん何も私は知らないということに立ち返って考えるということを主張している。
別の考えもできるかもしれない。
思考の中には階層があって、上に上がれば上がるほど、インデックスがシンプルになる。
思考の抽象化だ。
するとそれに伴い、臨機応変に対応していけばよいのではないか。
そのことが、実はゼロベース思考で考えることの原点ではないかとない頭で考えた。
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