焦りと言う言葉は、あまりいい言葉ではない。なぜなら、自分の思った通りに物事がうまくいかない場合やピンチと言う場合に使われる言葉だから。
でも、世の中、全てがすべて自分の思った通りに物事が進むことはない。
ある程度の妥協も必要だ。しかし、妥協しすぎでは、何ら前に進まない。
ピンチがあればチャンスがある。焦りとはそもそもメンタルな問題で、他人から見てもそう焦っているとは思われない。
自分の考えたことを行動にすべて移せるならば、それを改善するだけで良いので問題解決の上では、より簡単だ。
しかし、一般の人はやりもしないのに、延々と「こうなったらどうしよう?」とか「ああしたら、どうしよう?」と堂々巡りで何ら解決できない。
じゃあ行動してみよう!といきり立ったところで、根本的に目的がしっかりしていない状態だと、またもとの堂々巡りの思考パターンに逆戻り。
さてさて、この問題をどう解決したらいいのかを自分なりに考えてみた。
そもそも解決策に正解はない。すべて偶然の賜物。
そもそもできないことはできない。しかし目の前に解決しなければならないことがあるのであれば、話は別だ。
何とかして解決していかなくてはならない。
考えておかなくてはいけないことが、解決策に正解はないということだ。
料理のレシピのように、これをすれば間違いなくこうなるというものは、化学的なもの以外にあまり存在しない。
日本の学生生活において、試験制度があるために、正解を人は求めるが、世の中には正解というものはあまり存在しない。
結果、たまたまこうなったというのが真相だ。
時間という概念
解決という目的を果たすために、時間をかければかけるほど良いというものではない。むしろ短時間で目的を達成できたら良いと皆願うはずだ。
ちょっと前の文章を思い返してもらいたい。
’’自分の考えたことを行動にすべて移せるならば、それを改善するだけで良いので問題解決の上では、より簡単だ。’’
このことが短時間で問題を解決できる鍵になるのではないだろうか。
とりあえず、考えたことをやってみる。そして、数値を使って検証する。よければ続ける。だめなら止める。
たまたま、お笑い芸人のネタ見せの話を動画で見た。ネタ見せでプロデューサーはダメ出しをするが、実際お客の前では、すごいうけた。
これが答えだと思った瞬間だ。
ああでもない、こうでもないという時間は、無駄の何物でもない。
とりあえず、やってみよう。やることをリストにしよう。
そもそもどういう結果が欲しいのか。
やみくもに行動したところで、欲しい結果が得られなければ時間の無駄だ。
そもそもどういう結果を得たいのかを明確にしておく必要がある。
この明確化ができていないと、行動にブレが生じ、結果としてうまくいかない。
より具体的にどうなりたいのかをはっきりさせておこう。
最悪の場合どうなるのかを想定しておこう。
行動を移すにおいても、最悪の結果になるかもしれない。
しかし、その最悪の結果を最初から織り込み済みなのであれば、何も恐るるに足らないことだろう。
実際やってみるとわかることだが、腹をくくるという感じが肌でわかるはずだ。
焦りの正体は?
結局焦りの正体は、頭だけで考え、何も手の付けられない状態。
頭を使うんじゃなくて、手を動かせ。
そうすれば、必ず良い結果があなたに現れるに違いない。
無駄な時間は排除せよ。そして、考えるときは、紙の上で考え、手を動かせ。
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