自尊心ということばがある。
プライドとも訳せなくはないが、ちょっと違うようである。定義をはっきりさせるために辞書で「自尊心」を調べてみた。
「ありのままの自己を尊重し受け入れる」態度とすると表記してあった。
さて「尊重」とは何か?これも調べてみる。
尊いものとして重んずることと表記してあった。
関連語の「尊敬」とは何か?
その人の人格を認め敬うこと。
「敬う」とは何か?
対象を高位なものとして礼をつくすこと。
「礼を尽くす」とは何か?
礼儀や作法、相手への敬意などの気持ちを表現しきること。
「礼儀」とは何か?
社会の秩序を保ち、他人との交際を全うするために、人としてふみ行うべき作法。礼節。
ふむふむ、結局のところ自尊心とは、自分を認めることなんですね。
尊敬とは相手を認めることなんですね。
と考えるとすべての人間関係において自分および他人を礼節をもって認めることにより余計な感情が排除されより人間らしく振舞え、お付き合いできるということなのかと改めて納得した。
人を羨み、妬み、否定する行為は、余計な邪心を呼びそれが垢のように、良心の呵責とともに思考の流れを止めてしまう。
ストレスなんかもそうだ。
素直になろう。
素直になればあるがままに振舞える。邪心は捨てるべきだ。
人が困っていたら、素直に手を貸そう。協力してあげよう。
それが人間らしいというものだ。
話を自尊心に戻すと。
邪心を捨てるためにキリスト教には懺悔という行為がある。
許しを請う行為だ。それが終われば禊が終わる。
リセットできるわけだ。このシステムは便利だ。
新たに人間が生まれ変わるわけだから。
疑似行為ではないが、やってみる価値はある。
よくよく考えてみるとこの一連の行為が、即ち「自尊心」ではないかと改めて思った。
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