まあ!映画って本当に素晴らしい!!
てっいうことで、今回はあの有名なデヴィットフィンチャー監督の「ファイトクラブ」を久しぶりに見ました。
10年くらい前に見たんだけれども、今回見る前まで話の筋は忘れていました(すみません、監督)。
だけど、久しぶりに見たら、内容が濃い、深い、考えさられるの3拍子。
特にブラッドピッドが演ずる、タイラーのセリフには、男として心の奥底から湧き出るものがあるねえ。
見てない人はともかく、見たことのある人も、もう一度見て欲しい。何か得るもというか、心のスイッチがカチっと入る瞬間が必ずあるから。
とても、エネルギッシュに満ちた、生きているという快感かなあ、いろいろと感じる作品だ。
映画ファイトクラブ作品紹介
ネタばれになるから、見てみようと思う人は下のあらすじを飛ばして、次を見て。
1999年アメリカ制作。チャックパラニーク、著小説「ファイトクラブ」からの映画化。監督はデヴィットフィンチャー。
ブラッドピッドとは、セブンに続く作品。
ファイトクラブ予告編
あらすじ
ある自動車会社のリコール査定係をしている主人公は、完璧なまでに、絵にかいたようなブランドに囲まれた生活をして過ごしていた。
住居、衣類、食器、家具など、ファッション雑誌や何かの見本に出てきそうなものを次から次へと買い集め、物質的には満足いくが、精神状態といえば何かしっくりこないものを感じ、不眠症に悩まされていた。
そんな彼は、不眠症という苦痛を治すために、精神科の医師へ相談しに行くが、医師から「世の中にはもっと苦しむものがいる」と言われ、相手にされない。
そこで、世の中にもっと苦しむもの=睾丸をなくした患者の集いを紹介される。
その集いに参加することによって、患者の告白を聞くたびに、主人公は泣いた。その泣いたおかげでその日は眠ることができたのだ。
それを経験した主人公は、ニセ患者として、末期がん患者の集いや結核患者の集いに参加し、泣くことによって不眠症を改善していくのであった。
そんなおり、集いでよく顔を合わすヒロイン、マーラ(ヘレナ・ボトムカーター)に出会う。彼女もニセ患者であった。
その後、彼女のことが気になり、集いに参加しても以前のように泣くことができず、不眠症が再発し始めた。
ある日、主人公が出張中から帰宅すると自宅が爆破されていた。
途方に暮れていた彼は、出張中に会った、自分とはまったく正反対の性格で、イカス男タイラー(ブラッドピッド)を思い出し、連絡をとる。
バーで彼らは出会い、バーを出た後、タイラーは奇妙な頼みを主人公にする。「俺を力いっぱい殴ってくれ」と。
そして、二人は駐車場でじゃれあい始めて、だんだんとエスカレートしていき本気の殴り合いをはじめる。主人公はそこでの痛みの中に生きている実感を感じるのである。
それ以後時々、バーの駐車場で殴り合いを始めるのだが、それを見ていた観客も殴り合いをし始め、それが毎晩のように続くようになる。
場所をバーの地下室に変え、主人公とタイラー二人が、その殴り合いの場を「ファイトクラブ」と命名し、秘密の殴り合いの場としてルールを決めて開催していった。
これ以上書くと結末までわかってしまうので、ぜひ一度「ファイトクラブ」を見てほしい。
ファイトクラブを見た個人的な感想
社会人になって、家庭を持ち、息苦しく感じたことはないだろうか?
暴力というと、反感を持つ人がいるかもしれないが、グラップラー刃牙じゃないが、自分を主張し、男として体を張って生きている人間にあこがれを感じてしまうのは、私だけではないはず。
生きるということは、どうゆうことなのか?
大人になって、失ったものがあるんじゃないだろうか?
本心で生きてみろ!自由はそこにある、と言ったことを妙に気づかせてもらえた作品だ。
タイラーが言う「なんでもできる自由が手に入るのは、すべてを失ってからだ」「仕事の中身でお前は決まらない。預金残高とも関係ない。持ってる車も関係ない。財布の中身も関係ない。クソみたいなファッションも関係ない」
「手放すんだ!手放せ!」
「痛みがなく、犠牲もなければ、何も得られない」
素晴らしい作品だ。興行成績的には振るわなかったそうだが、今まで隠していた本当の自分を見つけられる。
万人受けするとは思えないが、ある種の人間には心刺さるものがあるんじゃないか。
嫌な上司、嫌な客、嫌な友人、嫌な女。
しがらみなんて糞くらえ!!
なぜ、そんなに我慢しなくてはいけないのか?
世間体。生活。それとも・・・
そんなもん捨てちまえとタイラーは言う。
お前は奴隷の人生を歩み死んでいくのか、と問われているようで、心が痛む。
もっと人間らしく、もっと自由に生きる。
それには痛みも犠牲も伴う。あなたはどっちをとる?
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